https://www.morrisseycentral.com/messagesfrommorrissey/you-know-i-couldn-t-last
昨日の朝、モリシーの追悼文でシネイド・オコナ―が亡くなったことを知った。彼女のファンでは全然なかったけれど、モリシーのメッセージがあまりにも強烈だったので一日中色々と考えてしまった。
享年56歳。死因が公表されないということは、自殺か自殺に近いことが起きたのだろう。昨年溺愛する息子が17歳で自殺したニュースを耳にしていた。ますます精神を病んでしまったのかもしれない。
モリシーが彼女とどのくらいの親交があったのか分からないが、かなりショックだったことが文面から伝わってくる。「死んでから評価するくらいなら、何故生きている間にもっと彼女を助けなかった?」という問いはめちゃくちゃ重い。実際彼女を助けられた人がいたかどうかは分からないけれど、もっと優しくできた人はいたと思う。
彼女は病気で亡くなったのかもしれないし誰も責められないのは分かっているけれど、メディアやSNSでさんざん悪く書かれて苦しんだであろう彼女の人生に共感して、こういう怒りの長文を書かざるをえなかったところにモリシーの愛を感じた。
たとえば、有名店が経営難で閉店が決まったとたんSNSで盛り上がって行列が出来たりして、なぜ普段からもっと食べに行ってなかった?みたいな違和感。でも本当に好きな店には普段から通っているかな、とも思う。
彼女が大手レーベルからアルバムを出せなくなっていたとしたら、それも仕方ないと思う。レコード会社も商売だから。でもシネイドのファンは、全力で彼女のアルバムを買ったりライブに行って応援していたと思いたい。
私たち側からすれば著名人が亡くなればその人を偲んで功績を称えるし、残された家族のことを思うのは自然なことだと思う。最近ではカトリーヌ・ドヌーヴとか、皆そんなに彼女のこと好きだったっけ?と思ったりしたけれど、それが有名人の特権でもある。忘れ去られていた人でも、訃報によってもう一度思い出してもらえてうらやましい。でも亡くなった人からすれば「お前だけにはRIPされたくねー!」と思う人もいることでしょう。
モリシーが一番言いたいのはこの辺りの矛盾かな。モリシーらしい良き追悼文だった。
RIPシネイド。天国で息子さんとお幸せに。